北方四島返還要求運動が始められて、およそ半世紀の歳月が経つにつれ、
運動そのものがあまりにも先の不透明なものに変わりつつ、
先人の努力も報われないまま現在に至っているような気がします。
その理由として私の思うところ、あまりにも長い歳月とそれに伴い、
世代交代の時期に突入したためではないでしょうか。
一世の方々が四島に住んでいた頃の話は、現代生活している二世以降の
人達にはあまりにも非現実的で本当なのかどうか
誰も証明することはできないくらい時間が経ち、
またそれを確かめることができない場所であることはご存知のことと思います。
何の手応えもない、証拠もない、実感すらわかないものに
興味を示さないのはあたりまえの事で、忘れ去られても仕方がないと思います。
そんな最中、私達の住む根室には昔、
四島に日本人が住んでいたという証拠、つまり「通信所跡」が残っています。
通信所跡地と言うならまだしも、建物もしっかり残っています。
専門家の話だと、
「原型を残すのは後10年がいいところ、
手をかけないでおけば、ただのコンクリートのカタマリになる。」

と聞きました。
納沙布岬から見えるロシアの国境警備隊の行き来する険悪な風景より、
晴天の通信所跡から望む泊山(国後)の方が距離はあるのですが(約30km)納沙布岬より、とっても近いという気がします。
寸断されている海底ケーブルなのですが、
それを伝って四島に行けそうな気がします。
「伝って行けるのなら行ってみたい」という一世の方々も少なくない筈です。
納沙布岬にある「平和の掛け橋」よりも現実的ではないでしょうか。
これからの返還要求運動等にはまず、後世に伝えるというのが
一番の課題ではないでしょうか。
いずれ、元島民四世、五世となって行くに従い、
この問題が何処かに埋もれてしまうのは残念なことだと思いませんか? 
忘れ去られない様に、証拠としてあるいは又、
未来の夢として残しておきたいと私は思っています。

建物保存についての概念